親鸞聖人絵詞傳要訳 8

和尚大いに驚嘆し同情を開き、のぞみのままに出家し、慈圓和尚が戒師になり、支度を権智坊(ごんちぼう)阿闍梨 性範がなさってくださいました。

御名も改めて、法名を「範宴」(はんえん)假名を「小納言」と名付けられました。

同じ年叡山に登られ、登壇受戒されました。

 

十歳の春

山東堂無動寺の大乗院に入って、四教義を読み始め、句読の師を権僧都竹林坊静巌(じょうどん)として、数年間南都北嶺の明師に謁見し多くの大小の奥義をつたえ、広く顕密の深義をときました。

 

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十九歳七月中旬の頃

和州(奈良)法隆寺に参詣の望を師の和尚に申し、問題なく許されました。

そして和州に行く折に、養父の範綱卿よりつけ置かれた、正全房侍従を召し連れて、覚運(かくうん)僧都の坊に逗留して因明の秘奥も学びました。

九月十日に河内国(大阪)磯長の里の聖徳太子の御廟にさんけいし、十三日から十六日の三日参籠しました。

十四日の夜丑の刻、夢ともなく現実でもなく、目の当たりに聖徳太子の御廟内より、自ら石の扉が開き光明が輝いて「いはや」の中を照し、別に満月が出て金赤の相を表して告げられました。

                     「聖徳太子のお告げ」

                     我三尊化塵沙界     がさんぞんけじんしゃかい

日域大乗相應地     じちいきだいじょうそうおうち

諦聴諦聴我教令     たいちょうたいちょうがきょうれい

                     汝命根應十余歳     にょみょうこんおうじゅうよさい

命終速入清浄土     みょうじゅうそくにゅうしょうじょうど

善信善信真菩薩     ぜんしんぜんしんしんぼさつ

汝の余命は十余歳なるべし、其後二十九歳に至て、浄土真門に入り給う、上にて当初の告命に十余歳に至て、清浄国に入らんと言い、今この時に示された、日頃の疑いがはれ給う。

 

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その告命を聞いたけれども、深く秘して口外せず、明くるひ十五日午の刻の初めにこの告令の文を書き記すのを、お供の正全坊侍従と二人で見ました。